コムデギャルソンの服であろうがしまむらの服であろうが、僕にとって重要なのは、そこが僕の爪をがっしり捉える事ができる場所になりうるかどうかである。
ちょっとした隙に、あいつが食べ残したコンビニ弁当の数粒の米粒とデミグラスソースを奇麗に舐めただけでどうして僕はこれほどまでの罪悪感と疎外感を感じさせられるのだろうか。
別に聞く気はないのだけれど、それが僕にとって少しでも有益ことならいつでも尻尾を振る準備はできている。そりゃあ疑心暗鬼になったって仕方ない。なぜなら僕は実行されない「さんぽ」や「ごはん」という響きをいやというほど聞かされているのだから。
はっきり言って愛してくれているのかどうかは解らないけれど、同じような毎日のくり返しの中、ただそばにいるってことがストレスにならないってことだけは確かだ。
僕がいつも一人で留守番できるのは、必ず帰ってくるって信じてるからなんだ。「しあわせ」なんて解んないけど、まあ強いて言えば「ただいま」と帰ってきて抱っこされたとき感じるのがそれかなあ。